「メイドじゃなくても、メイド長になれるのか?」
「なれるわけ無いじゃない」
宙に浮き、古びた箒の上から見下ろす、勝者。膝を折り、肩で息を取り込む、敗者。勝者から敗者へと嫌みったらしく投げかけられる、勝ち誇った笑み。間髪を入れずに減らず口をたたいた己に、嘲笑とも憫笑ともつかない歪な形で口角が持ちあがる。まだ自分にはそんな口を利ける余裕があったのか、と。
しかしいくら負けじと口先で切り返したところで、本当の勝負は既についている。勝者は彼女。敗者は私。時を戻しやり直したいといくら望めどすべては遅すぎる――これが変えようのない事実で、現実だ。
だからこそだろう、彼女はそれ以上は何も言わずに、鮮やかな金の髪をなびかせて飛び去っていった。同時に巻き起こる一縷の黒い風が擦れた頬にひどく沁みる。
(ああ、負けて、しまった)
(こんなに手酷くやられたの、いつ以来かしら)
(……痛い。痛い、痛い、痛い……)
無残にもぼろぼろに破れた服。ぼやける視界。軋んだ音を立てる手足。甘苦い鉄の味がじわりと広がる口内。全身が“痛い”という言葉のみに支配されたかのごとく疼いて、何度も何度も脳に反響する。のろのろと視線を横にやれば、紅に濡れたナイフがあちらこちらに散らばっていた。その紅は今も剥きだしの裂けた皮膚から止まることなく滴り、黒染みとなって深紅の絨毯をまだらに染めてゆく。まるで敗北者を高みから嗤いとばす呪いの紋様のように。
(掃除する立場の私がこんな風に汚してしまっては、後でお嬢様にきつく叱られてしまうわね……)
(……っ、お嬢様、)
「申し訳ございません」。
喉元まで込み上げた謝罪の言葉を、唇を噛んで飲み下す。
叶うならばこの不吉な模様の上に倒れてしまいたい。瞼を閉じて、そして音もなく襲い来る気だるさに身を投じることができたなら、どんなにか楽になれるだろう。
けれどその誘惑に屈したなら、いったい誰がお嬢様を守るというのだ。私には伏して詫びるより前にやらねばならないことがある。彼女がまっしぐらに時計塔へ、他ならぬお嬢様のもとへ向かっているからには。
もう時を操るほどの余力は無い。使い物になるナイフもほとんど底をついた。私に残された攻撃手段は残りわずか。疲労困憊、満身創痍のこの状態でまた互角に戦おうと思うほど、バカでも能天気でも向こう見ずでもないつもりだ。
そもそも侵入者をくい止めるという私の役目は終わった。そう、終わったのだ。正々堂々の勝負で負けを喫した以上は大人しく認めて引き下がるのが筋というもの。
(……それでも。私はまだ、戦える。戦ってみせる)
課せられた役目も、お決まりの筋も関係ない。この身に四肢があり、鼓動が宿っている限り、痛くとも戦わなければならない。立てなくとも戦わなければならない。戦って戦って戦って、守らなければならない。すべては、生きる意味を奪っていった憎き敵にして、生きる意味を与えてくれた愛しき主……お嬢様の為に。
震える脚を鞭打ち、持てるだけの力で走り、黒き疾風の前に立ち塞がる。ここまで行く手を阻みに来るとは思わなかったのだろう、勝者は息をのみ、そして何かを言いたげに眉を寄せた。曙光のごとき黄金色の瞳の中では無様な姿を晒す敗者が揺れている。
(……まあ、「とんだ悪あがきだな」とでも言いたいんでしょうね。そんなこと百も千も承知。だから悪あがきは悪あがきなりに、見苦しくとも派手に暴れさせてもらうわよ。精々覚悟することね)
内心で虚勢にすぎない啖呵をきって、愛用のナイフを握りしめる。すぐさま柄が、刃が、赤黒い雫でぬめっていく。この不快な感触こそ、戦い抜くと決めた私の存在証明だ。
私は端の切れた唇を三日月にかたどって、八卦炉を構える彼女に精一杯の微笑を手向けた――
「あなたみたいな人も珍しいわね。こっちには何もないわよ?」
+基盤・引用:東方紅魔郷/上海アリス幻樂団+
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