その路にどうか、一条の光を。




『光』




 薄暗い闇が世界を支配する時分、精巧な造りの取っ手にそっと触れると、年季の入った木製の扉は躊躇いなくその身を退いた。
 一歩を踏み出そうとして、足が僅かに震えているのに漸く気が付く。努めて“普段通り”を貫こうとしているというのに情けないものだ。
 このような無様でらしくない姿をあの方に晒すわけにはいかない。――例え彼が既に死した者であっても、だ。
 そう意を決し、私は前を見据えて真っ直ぐに祭壇へと歩を進めた。


+ + + + +


 此処は静かだ。どこまでも静かだ。細波のように拡散していく乾いた靴音でさえ耳に痛いほどに、静かだ。
 その果ての無い静寂と溶け合うように、彼は色とりどりの花に埋もれて横たわっていた。力無く閉じられた瞼は彼がもう此処に存在しないことをまざまざと物語っている。
 彼は死しても尚、綺麗だった。長い睫毛は透き通る真白な肌に柔らかき影を作り、常に一つに結われていた艶やかな髪は解かれてふわりと広がっている。皆の意向で“軍団長”のまま葬られる運びとなった為喪服代わりとして着せられた軍服には、少しの汚れも無い。
 しかし軍服の上、胸元で組んだ両手の内で白銀のロザリオが映えているのを目に留めた私は、心中で微苦笑を浮かべざるを得なかった。「貴方に十字架は似合わない。貴方が携えるのに相応しいのは剣だ」と言ってやるつもりだったのに――今の彼には剣より十字架の方がしっくりくるように思えてならない。全く以て不覚である。


+ + + + +


 面を下向け、二度と動くことのない彼を暫し視界に収めれば、日中の皆の様子が脳裏に蘇ってきた。
 三将軍に始まり、彼を心から尊敬していた兵達の嘆き悲しみは計り知れない。亡骸を直視し激しく取り乱す者や祭壇に泣き縋る者までいたほどだ。
 そんな中、一際目立ったのは毅然とした態度で彼の死に向き合う若き女王だった。


『明日、国葬を執り行います。手配を――お願い致しますわね……』


 瞳に大粒の涙を溜め込み、しかしそれを決して零すこと無く。
 一言そう告げて踵を返す姿に彼女の強さを垣間見た。彼はよく彼女の傍で働いていたし、彼女だって彼を慕っていたのだから……他の者達より何倍も辛い思いを抱いているだろうに。
 気の利いた言葉をかけることも出来ずに彼女を見送った私は生まれて初めて、自分の不甲斐なさを恥じた。
 どんなに知恵があったとしても、どんなに戦が読めても、貴方を此方へ引き戻すことは叶わない。人ひとり、慰めることも出来ない。
 所詮私は“無力”なのだという現実を、痛感した。


+ + + + +


『唄いましょう。この命続く限り、ノルテの白き月の“物語”を――』


 女王と別れ沈んだ面持ちで回廊を曲がっている時、通りかかった部屋の内部から穏やかな台詞が漏れ出でた。
 続いて澄んだ竪琴の音、付随して清い歌声が讃美歌の旋律をなぞる。それは戦時中から此方に身を寄せている吟遊詩人が、集まった人と共に軍団長の死を悼んでいるものだった。
 思わず立ち止まり聴き入っていると何時の間にか讃美歌は終わりを迎え、その響きを見事に引き継いで“ノルテの白き月の物語”――彼が少年兵として入団し、聖剣を手にし、軍団長となって戦地で舞う武勇伝が切れ目なく織り上げられていく。
 だが私は最後まで聴くことなく、物音を立てないように気を配ってその場を後にした。
 武勇伝は戦に始まり戦に終わるのがほとんどだが、彼は違う。彼は戦に終わることが出来なかった。決戦の直前に起きた発作、そして急逝。……彼の場合は戦に始まり病に終わる武勇伝だ。
 立ち去ったのは最期を知っているだけに続きを聴きたくなかったから、に他ならない。私でさえこのような終わり方に悔しさを抑えきれないのだ。当の本人は病に終わった武人らしくない自らの生をさぞや恨んだことだろう。


+ + + + +


『人は故人の死を悲しんで祈るのではありません。故人を見守り、その先の旅路に光あれと願い、祈るのです――』


 大司教らに話をつけて国葬の手筈を整え、亡骸が安置されている教会へ赴くや否や、年若い神父の声が耳に飛び込んできた。
 目線を横に遣らなくとも、軍団長の死を眼前にして泣き崩れている者達がいるのは容易に察することが出来た。どうやら先程の台詞は彼らに向けて発されたらしい。
 神父の自論なのか、はたまた聖書に記載されているものなのかは分からなかったが、その言葉は不思議なほどじんわりと心に沁み渡った。
 そして私はその言葉によって、一瞬で全てを理解した――


+ + + + +


「……皆、祈った。貴方の為に――」


 女王は気丈に振る舞い、貴方が守り抜いた国を支えようと努力することで。
 詩人は貴方の輝かしい武勇に美しき調べを添えて、いつまでも唄い続けることで。
 神父や多くの人々は貴方への思いをそれぞれに精一杯込めて、強く願うことで。
 皆、ただ手を組み合わせる形を取らずとも、貴方の為に“祈り”を捧げた。貴方の行く先が光に満ち溢れたものであるように。

 それは先程、国民の代表として宣誓した彼にも言えることだ。


『我が剣の誓いは女王陛下へ。……そして、』


 貴方は見ているだろうか。貴方が“聖剣の継承者”としてずっと気にかけてきた彼が、昔貴方が行ったように、聖剣を通して国の確守を王に誓ったところを。


『我が身の誓いはこの胸に頂く、ノルテの白き月へ――』


 貴方は見ているだろうか。貴方が“ひとりの少年”としてずっと気にかけてきた彼が、目尻を赤くしながら、質素な白銀の十字架を貴方の両手にしっかりと握らせたところを。


+ + + + +


 今日一日、天へ召された貴方へ届くようにと、様々な人が様々な形で別れを告げた。貴方のことだ、頼んでもいないのにこれほど沢山の別れを押し付けられてはいい迷惑、もう飽きたと言わんばかりに「そんなに心配しなくても大丈夫、ちゃんとやっていけるよ」と苦笑しているのだろうが。
 けれど数時間も経たずに、貴方の骸は焼かれて消えてしまうから。


「――だから、」


 だから、お許し頂きたい。


「私で、最後です――」


 きっと私で最後になるから、飽きたと言わずにきちんと聴いて頂きたい。

 内に提げていた自分の十字架を首元から引っ張り上げて固く握りしめると、二度と動くことのない彼の前で深く深く、一礼する。
 その拍子に何か熱いものが頬を伝い落ちていったが、そんなことなどどうでもよかった。
 今はただ……祈りたい。


「願わくば、貴方が進むその路を照らす、白き光があらんことを――」









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