Sesto ―6日目―


6日目はポンペイ周辺に点々と存在する他の遺跡を見て回りました。

タクシーにホテルまで来てもらい、まずはスタビア遺跡へ連れて行ってもらいました。ここは別荘が多く建てられた場所で、まだ発掘・修復の途中の部分もありますが、2つの邸宅が公開されていました。


そのうちの1つ、アリアンナ荘で撮った1枚。思いっきり発掘途中段階なのが分かります。
柱なんかはこうやって掘り起こされるものなんですね。




床には大きなモザイクが貼られていました。
まるで迷路のような組み合わせ方をした図面に目が回りました(笑)




壁面のフレスコ画。
格子状の中に人や植物、模様が丁寧に描かれています。控えめな彩色も綺麗です。




これは……荘のどの部分で撮ったか記憶が定かでないので自信を持って言い切ることができないのですが、もしかするとアリアンナ荘の名付けの由来となったアリアドネかもしれません。
壁画に描かれている人は薄着なことが多いので、ヴェールに身を包んだ姿が物珍しく映りました。



次はアリアンナ荘から車で2〜3分のところにあるスタビア遺跡のもう1つの別荘、サン・マルコ荘へ。ローマ時代最大の別荘とも言われ、かなりの広さを誇る大邸宅です。
ここでは解説を熱く語る案内人のおじさん(喋り出すと止まらない感じの人でした)の後に続いて見学しました。イタリア語訛りが入った英語で解説されたので2割も分からなかったですけど!


中庭で撮った1枚。小さな岩のように見える黒い塊は、当時の木の株が炭化したか何かでそのまま発掘されたものです。これを元に間隔や木の種類を調べ、木を植え直しているとのこと。
ちなみに左側の白い部分はプールとなっておりました。当然の如く広かったです。




邸宅内のある一室にて、古代遺跡としては珍しく天井画がありました。
崩れて床に落ちてしまった状態で発掘された物を修復師の人が貼り合わせているのでしょう。全部残っていたとしたら相当立派だったんだろうな、と思います。




フレスコ画の一部には、レバノン杉を描いたものも残っていました。
太陽の下でのびのび育っている構図で明るい印象を受けました。




ヒビが入ってしまっていますが、こちらは天使を描いたものです。
羽の一枚一枚までしっかり描いてありました。




このフレスコ画は複製なのが丸分かりですが、それでも当時の人達の衣装を知る大きな手掛かりになりますね!
手に持っているものが何なのかいまいちよく分からなかったのが残念です。




中庭の奥に立てかけてあったモザイク。これも複製ではありますが、作成にあたってありとあらゆる色を尽くしていたのだな、ということが窺える1枚です。




サン・マルコ荘も昔はすぐ側が海だったそうです。こういった階段を使って海へ、というか船着き場へと下りて行ったと思われます。
是非下りてみたかったのですが、時間がなくて敢え無く断念。




先程のモザイクの後ろに建ち並んでいた装飾。
ここでは神像を贅沢に何体も飾って祀っていたという話です。




遺跡の入り口付近には日時計がありました。
今も機能しているのか確かめたかったのに、この日の天気が運悪く曇りだったため全く確認できませんでした……。



また帰り際には、ノリにノリまくった案内のおじさんが、紀元後79年のヴェスヴィオ火山大噴火の際に降り積もったという火山灰を、おもむろに遺跡の中から取り出して一掴みくれました。
遺跡にある物は本来持ち帰り厳禁、なはずなのですが……「遺跡の管理人がくれるのなら貰ったって良いよね!」ということで遠慮なく頂いて参りました。
約二千年前に数々の街を、人を埋め尽くした火山灰が自分の手の中にあるのは不思議な感覚がします……。


次に向かったのはボスコレアーレ遺跡。ポンペイの秘儀荘のように、農作業ができる邸宅として建てられたものです。しかしボスコレアーレは華美な装飾は少なく、質素な家でした。
手前にはサン・マルコ荘と同様、葡萄の株が見つかったことから当時の景観を再現するため葡萄が植えられています。




土の中に壺を埋め込んだ構造。ここにワインなどを入れて貯蔵していたそうです。
土に埋めておけば極端な温度の変化が無くて保存に便利だったのかもしれません。




農家を取り囲む地面には、土の層がはっきり表れていました。
火山灰が降り、火砕流が押し寄せ、また火山灰が降り……といった当時の火山活動を地層から確認することができます。



ボスコレアーレには博物館も隣接しており、農具や挽き臼、フレスコ画、石膏で固めた遺骸などが展示されていました。
特に犬や豚といった動物の石膏型は他で見られないものだったので興味深かったです。ちょっと可哀想な部分もありましたが……。


またタクシーに乗り向かった先は、オポロンティス遺跡。
大きな玄関と列柱からして豪勢な邸宅であることが一目で分かります。




オポロンティスの見どころは何と言っても数々の大きいフレスコ画。
柱を描いてその奥に空間があるように見せる「だまし絵」的装飾が見事です。




小さな窪み(ニッチ)には植物を背景にした噴水のような絵がありました。
「噴水が作れない? ならば壁に描いてしまえば良いじゃない!」な精神が表れているような気がします(笑)




個人的に一番惹かれたのは、孔雀の絵でした。
複雑な尾羽まで緻密に描かれているのは勿論、独特な青緑色の発色が素晴らしいです。そして孔雀がローマ時代に知られていた事実に驚き。




柱にもフレスコ画と同様の技術で装飾が施されています。
沢山のフレスコ画を見ていて思うのは、色の使い方が上手いな、ということです。同系色の色ばかりではないのに目が痛くならない、煩くならないところが凄いと思います。




オポロンティスの中庭。
館が広いので庭も広々としています。ちゃんと手入れされており、夜にはライトアップもされていそうな感じでした。



足早に見学した後は、タクシーとおさらばして徒歩と電車でエルコラーノ(当時の呼び名だとヘルクラネウムですが)へ足を運びました。


駅から伸びる坂を直進して下っていくとほどなく、エルコラーノ遺跡に到着。
ポンペイの4分の1の大きさですが、それでも充分に広大です。




エルコラーノの街並み。写真にはあまり写さないよう努力しましたが、ここも結構有名な遺跡なので、数多くの観光客が訪れていました。
石畳+歩道付きな道の作り方はポンペイとほぼ同じですが、やはりこちらの方が少し規模が小さいかな? と思いました。




家の入り口にはアーチ状のものもいくつかありました。
こういうところを見るとすぐに潜って突き進んで中を探索したくなるんですよねー……好奇心が止まらない!(これが災いして迷子にもなりやすいのですが;)




他の遺跡ではなかなか見られない、2階建ての建物もありました。
当時は2〜3階建ての家も多かったようですが、長い月日の内に上階が崩れ落ちて1階部分しか残らないことがほとんどですし。




↑の内部にて、2階へと続く階段。階段は最初の3〜4段を石で作り、それ以上の階段の多くは木で作っているとのことですが、これは上階に至るまで全て石で作っているところがとても珍しいです。
上りたかったですが当然のように立ち入り禁止だったので諦めました。行ってみたいところって大体封鎖されてるんだよな……でも封鎖されてるからこそ行ってみたいんだよな……。




エルコラーノの名物ともなっている、ネプチューンとアンフィトリティスのモザイク。ツアー客の人が群がっていて写真を撮るのも一苦労でした;
練りガラスが使われていて本当に色鮮やかです。赤青緑黄の調和が綺麗!




これはサムニテスの家と名付けられた建物の内部なのですが、壁の上部にイオニア式の柱廊が飾られているのが特徴的でした。
2階が無くとも装飾を駆使することで2階があるようなデザインにしたかったのかな、と感じました。




ポンペイにしろエルコラーノにしろ、そこそこな家には入ってすぐの広間にこういった四角い掘り込みがあります。
この真上は吹き抜けになっており、雨が降った時に雨水をここに溜めていたというのですが……私はそんなに都合良く雨水を集められるのだろうか、と訝しみの眼差しを向けております(苦笑)雨が貴重な水源だったのは確かだとは思うのですが。




幾何学模様のモザイクはエルコラーノにもありました。花形だったりハート形だったり卍形だったり、バリエーションがとにかく豊富です。
どうでもいいのですがこの写真の右下の模様、図形の「斜線部の面積を求めなさい」的な問題で出題されそうな形だな、と思ったのは私だけでしょうか……




列柱の一部。しかしよく見ると元は煉瓦で柱を作り、その上から赤い色の付いた漆喰を被せていることが分かります。
全て石で作るとお金がかかるからこういう風に安く上がる形でデコレーションしたんだろうな、今も昔も節約する人がいたことに変わりは無いんだな、といらぬ妄想を働かせておりました(爆)




最後に見に行ったのは浴場(テルメ)でした。
今までは一般公開されていなかったそうなのですが、私達一行が訪れた日は何故だか開いていてかなりラッキーでした。




入口から伸びる階段を下っていくと、このような構造になっていました。
アーチを何重にも組んで高さのある作りになっており、上は吹き抜けか何かで光を取り入れています。




奥へ歩みを進めると、大きな浴槽がどっしりと構えておりました。
結構な深さがありましたが、この時代の人達は立って入浴していたとも聞きますし、深くとも問題はなかったのかもしれません。同行人が実際中に入ってみた(!)らしいのでその話も聞いてみたいものです。




風呂炊きの窯もきちんと残っています。
貴族や自由人達が入浴を楽しんでいる裏で、奴隷達が汗水を流して労働していたことを忘れてはいけないと思います。



遺跡内を一通り歩いたので、次は敷地内に併設されていた船の博物館へ行ってみました。


博物館には発掘された当時の船や、オールなど海に関するものが展示されていました。
エルコラーノもポンペイ・スタビアと同じく海に隣接して建設された街なので、城壁の外にはこんな船が沢山浮かんでいたのでしょう。



博物館をさらっと見て回って出ると、もう夕方5時近くになっていたので、遺跡を後にして電車でホテルへ帰りました。
5日目同様に外のレストランで夕食を取って戻った後は、また飲み会みたいなものが催されていたようですが、私はさっさとやることをやって早々に布団に入っておりました。自分でも付き合い悪いなとは思うものの、日中歩きづめで身体がもたない&何だかんだで楽だったんだと思います;

以上、色々見て回りすぎたせいでぶっちゃけ記憶がボコボコ抜け落ちている6日目でした。
団体行動ですし時間的余裕も無かったですし諦めはついておりますが、どれもどうせ見るなら飽きるまで見学したかった……!