仕かけは完ペキ、準備は万端。
 そして今、私はただ“その時”を待っている。




『夕暮れ時の教室で』




「その本、面白いよな」


 ――初めて、君からそう話しかけられたのは、いつだっただろうか。はっきり覚えているわけではないけれど、もう随分と前なことなのは確かだ。
 名前と顔が一致する、一介のクラスメイトなだけだった君の、あまりにも突然なその言葉に、私はとにかくビックリして勢いよく本を閉じてしまったんだっけ。仕方なかったんだ、だって私は親しくない人と軽く話せるようなノリの良い子ではないし、それに君はお世辞にも社交的には見えない人だったんだもの。
 そんな奇妙な私の様子に君もビックリしたようだったけど、それでも笑顔を向けてくれたことは、今でも鮮明に思い出せるほどくっきりと脳裏に焼きついている。


 それからというものの、私達は本のことで、最初はぎこちなく、次第にスムーズに会話をするようになった。何巻が一番好きだとか、もうこの辺りから話が訳分かんなくなってきてるだとか、映画化されたやつも観ただとか。
 数日後、「これと似た感じの面白いシリーズ持ってるけど、読むか?」と言われ、二つ返事で「読む、貸して!」と答えた時には、君は私にとってただのクラスメイトではなくて、立派な友達になっていた。


 やがて話題は本だけではなくて、その他のことにも広がっていった。ちょうどその時席替えがあって、偶然に近い席になったっていうのも大きいかもしれない。
 部活のこと、友達のこと、授業のこと、趣味のこと、家族のこと、行事のこと、テストのこと。君と話すのは面白くて、授業中にもこっそりルーズリーフを回しあいながら筆談した。まあ筆談は周りの席の子たちも含んでみんなで、って感じではあったけれど。
 そうしてひとつ、またひとつ、どんなに些細なものであっても君という人を知っていくのが楽しくてたまらなくて。いつしか互いに名字で呼び捨てあうようになったのが嬉しくてたまらなくて。
 ふと気づいた時にはすでに、私は君に特別な意味で惹かれていた。悔しい話だけれど、目が自然と君を追ってしまうのだ。これはもう認めるしかないじゃないか。


 自覚してしまえば、転がり落ちるのは早いもの。
 成績は私ととんとん、身長はまあ、これからの伸びに期待するとして。男のくせに、さらに運動部所属でバッチリ日に当たっているくせに、私なんかよりずっと色白で。目は一重だけれど切れ長で。つっけんどんな見た目の印象や口調に比べると中身は意外に律義で柔和で、気前が良くて、ユーモアもあって、それでいて気遣いのできるヤツで。
 ……「盲目」とはよく言ったものだよね、と自分でも思う。笑いたきゃ笑えば良い。でも私が君のことを表現しようとするとどうしてもこうなってしまうんだ。これがホレた弱みってものなのだろうか。


 メールをするようになってからはいつも、君からの返事がいつ来るかとワクワクしていた。
 まだ来ていないのは分かりきっているのに何度もケータイを開いて確認して、やっと来たと思ったら広告メールだったりして、がっかりすることもしばしばあった。


 私のストラップと交換してくれたクマのキーホルダーは何よりの宝物。
 「そのキーホルダー可愛いね、とっても気に入った」って何回か言ったら君は快く換えてくれたけれど。ごめんね、あれは可愛くて気に入ったってだけで言ったわけじゃなくて、君が持っているものを、付けているものを、手に入れたいって気持ちも強かったんだ。


 バレンタインの時は、作った中で一番出来の良いチョコを詰めて、ラッピングも他の人とは少しだけ変えて、君が好きだと言っていた色のリボンを結んだ。
 度胸がなくて、気恥ずかしくて、「友チョコだ」と突きつけるように渡してしまったのが今となっては心残りだ。何でもっと可愛げのある感じで、素直に「受け取ってください」と渡せなかったんだろう。


 ともあれ、君を慕うこの気持ちは溢れんばかり、持て余すほどに大きくなってしまった。
 だから今日、私はある行動に出ることにしたのだ。
 髪をキレイにまとめて、うっすらとアイラインを引いて、グロスに似たツヤのあるリップクリームを唇の上に乗せた。メイクは校則で禁止されているけれど、そんなこと知ったこっちゃないしバレなければ問題ない。
 下駄箱に入れた手紙は散々迷ったあげく、普通のメモ帳を切ったような紙にシャーペンで書いた。ちゃんとした便箋やラメ入りペンを使おうかとも考えたけれど、そんなものはガラじゃないから、結局私らしく行くことにした。


 断っておくが、私は別に気持ちを受け入れてほしいだとか、君の彼女になりたいだとか、そういうことは考えていない。
 考えていないと言うより、どうでもいいのだ。受諾であれ拒絶であれ、ただ私の態度と言葉に対しての君の反応を、言葉を得られればそれで充分、それが一番嬉しい。
 もちろん不安はある。でもそれは君に拒まれる未来ではなくて、これを機に君と接することがなくなってしまう未来に対してだ。今日の結果がどうであれ、君の笑顔が見られなくなってしまうのが一番辛い。


 陽もだいぶん傾いた。……そろそろ部活が終わる時間だ。君はもうすぐ、あの手紙に気がつくだろう。そしてマジメにも教室(ここ)にやってくるだろう。
 “その時”は刻一刻と迫ってきている。君は驚くだろうか、嫌がるだろうか、笑うだろうか。ああ、待ち遠しいような怖いような、心躍るような逃げ出したいような。何とも言い表しがたい不安定でフシギな気分だ。
 それでも、これだけはしっかり伝えようと決めている。「ずっと前から、君がすきです」と。


 やがて近づいてくる、上履きと廊下とが擦れて静まり返った校舎に響く足音。聞き間違えなどしない。まっすぐ、こちらへ向かってきている。
 それがぴたりと止まり、教室のドアが引き開けられた時。
 私は汗ばんだ手でスカートをぎゅっと握りしめたまま、ゆっくりと椅子から立ち上がった。








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