「貴方が闇なら私は光。私が昼なら貴方は夜。貴方と私は対照。私と貴方は、対翼」


 暗い、くらい、牢のような一室で。
 ふんわりと清雅な笑みを頬に湛えた女は、全身を漆黒で包んだ無表情の男――俺に、手を伸ばす。
 そして血に染まり切った俺の身体に腕を回す。大切な壊れ物を扱うようにそっと、そっと。


「この世界は、腐っている。貴方もそう思うでしょう?」


 何処かでぴちゃん、と雨が漏っている。
 その音はこの部屋の静けさを強調するに余りあるほど、空気を大きく震わせた。


「私は光。闇である貴方なしでは存在し得ない。貴方は闇。光である私なしでは存在し得ない。私と貴方は、どちらか一人だけでは意味を成さない」


 そう言い終わると同時に、俺の服を掴む白い手が固く握り締められた。
 外から響く電光と雷鳴の合唱がやけに耳につく。


「一人だけでは無理だけど……私と貴方と二人なら、できる。何でもできる」


 女は優しく柔らかく、高らかに唄った。


「壊してしまいましょう。存在する価値などない、罪に塗れたこの世界を」


 絶望を紡いだ紅い唇が押し当てられる。
 傍から見れば口付けとも見えるその行為には、愛など一かけらも含まれていない。
 在るのは限りなく愛に近しい、だが限りなく愛から遠い、狂気と束縛の熱のみだ。
 長い唇の重なりを経た後、微かに頭を振って肯定の意を伝えると、女は満足したように目を伏せる。


「ありがとう、永之……いえ、私の、唯一無二の、対翼――」





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「私と貴方は、どちらか一人だけでは意味を成さない」


 俺もお前も孤りでは何者にもなり得ないと言ったじゃないか。


「私と貴方と二人なら、できる」


 俺とお前が力を合わせれば出来ないことなど無いと言ったじゃないか。


「壊してしまいましょう」


 だからこの醜いセカイを二人で壊してしまおうと言ったじゃないか。
 なのに何故、お前は血を流して倒れている?


 ――その理由は馬鹿馬鹿しくなるほど簡単だった。俺がお前を、殺したからだ。


 お前を殺すつもりは毛頭なかった。
 お前から「世界を滅ぼす手始めに殺してもらいたい奴がいる」と聞いていた。
 だからお前に言われた場所へと足を運んだ。
 そして其処に現れた人間を標的だと信じ込んで躊躇いなく撃った。
 その相手がお前だった。ただそれだけのことだ。





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 白煙を燻らす得物を下げ、崩れ落ちた肢体まで一歩ずつ距離を詰めていく。
 確実に仕留められるような部位を狙ったのだから即死しただろうと思いきや、か細い呼吸があった。文字通り虫の息だ。
 だがこの状態が長く持つはずがない。迫り来るものは即ち、死だ。

 女の前に屈みこむと、喀血し肩で酸素を取り込もうとしている彼女の襟元を手荒に引き上げる。
 死んでしまう前に、どうしても聞いておきたいことがあった。


「……俺達は二人で一つの存在であると言ったのはお前のはずだ。ならば何故、自らそれを断ち切った?」


 答えはなかった。代わりに喉笛から漏れたひゅうひゅうという空虚な風が耳を掠める。
 女の両目をこのように真正面から見据えたのは初めてだが、確かに研ぎ澄まされた黒曜石のように煌めいていたはずの双瞳は、今や濁り始めていた。


「っ、答えろ……あの時確かにお前は俺のことを『唯一無二の対翼』だと言ったはずだ! あの言葉は嘘だったのか?」


 女が『私と貴方は対だ』と紡いだ時から、俺もまた彼女を対なる存在だと理解した。
 狂おしいほどに俺という存在を渇望する女を、俺もまた狂おしいほどに渇望した。
 愛なんて半端なものは、終わるものは微塵もない、互いに縛り縛られる関係を当然のものとした。
 この世に生を受けて初めて、自分以外のものを信じた。

 嗚呼、それなのに。


「お前も俺を裏切るのか? 俺の片割れであるお前でさえ、所詮は其処此処に這いつくばる愚者と同じだったのか?」


 今まで少しの反応も見せなかった彼女の身体が、『愚者と同じ』という響きと共に小さく跳ねる。
 次の瞬間、女は声にもならない擦れきった声で一言、こう告げた。


「……永、之。さよなら、だよ」


 同時に首を吊り上げている俺の腕には、今までに感じたことのないような冷たい重みが加わる。
 それは彼女が“向こう側”へと連れていかれた――否、俺が連れていった・・・・・・・・ことをまざまざと物語っていて。





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 ――さよなら、だよ。


 いつも余裕と自信に満ち溢れ、恐ろしいほどに真っ直ぐな視軸で滑稽なほどに歪んだセカイを見据えていた女が、最期に発した言葉。
 たった数文字の短い台詞だったが、俺は其処にすべてを読み取った。


 彼女は最初から、俺に殺されるつもりだったのだ。
 だから嘘を吐いて俺をおびき寄せ、気付かれるか気付かれないかというギリギリな気配を纏って俺の背後に躍り出た。
 そして何も知らない俺によって銃口を向けられ、その弾丸に射られた。


 すべては、俺に殺される為に。


 ……スベテハ、俺ニ殺サレル為ニ。





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 今まで何人も、何十人も、何百人もの命に引き金を引き、ひとつ残らず奪い尽くしてきた。
 毎日繰り返しているうちに、もはや人を殺すことに何の違和感も覚えなくなった。
 血を浴びることが日常で、血を浴びないことが非日常だった。
 今日はたまたまその対象がお前だっただけだ。
 散々吸い上げてきた魂のリストの一員にお前が加わっただけだ。


 だが、俺はこの時初めて“人の死”を知った。
 初めて“命の重さ”を知った。
 初めて“涙”を、知った。





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 刹那、形の分からない何か・・に引き寄せられて強い微睡が襲いかかってくる。
 耐え切れずにがくり、と膝を折るとただの肉塊となった女の身体がごとり、と無機物的な音色を奏でて転がった。
 どんどん遠ざかる意識に抗えず倒れ込んだ俺の視界の端には、もはやヒトではなくゴミと化した彼女の姿がちらついている。
 その顔は乾き始めた血の泡が全体にこびり付き、世辞にも綺麗だとはいえない酷いものだったが、


 彼女はこれまで見たことがないほど穏やかに、微笑わらっていた。


 しかし一瞬のうちに五感が霧散し、すぐに虚無が支配する海に投げ落とされたことを全身で確認する。
 これからどうなってしまうのか分からないまま底なし沼のような眠りに埋もれていく自我の中で思うのは、ただひとつ。


「俺も、さよならだ。願わくばどうか安らかに、緋月……いや、俺の、唯一無二の、対翼――」








 ――地獄のような舞台はまだ、終焉の鐘を鳴らさない。














Black Star様の“Title”より台詞、表題をお借りしました。








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