見るからに頑丈な偉躯を携えた鉄の扉は、まるでそれそのものが扉を護る守衛であるかのごとく、重々しい殺気を放っていた。
 扉の向こうは何の部屋なのか、などと安直に言葉にするのもバカらしくなるほどに、自らの本能が危険回避のための警告を全身に打ちつける。


(ここに、いるのか。……巨人が)


 誰に尋ねるともなくその事実を知ったセイジは、ためらいがちに鋼鉄の守衛を押してみた。が、案の定、びくともしない。たったそれだけのことではあるが、セイジは守衛の存在に隠された、中の者を外界と隔てる理由を汲み取らざるを得なかった。


(酷いもんな、ここ……俺だって用がなきゃすぐにでも出て行きたいっての)


 扉からそっと手を離し、後ろを振り返って眉をしかめる。

 道を彩っている、相当の年月が経っているものから比較的新しいものまでが一緒くたに入り混じった生き物の血、血、血。
 酷い、の一言に言尽きる、まさに惨憺たるものだ。

 吐き気を催させるパノラマから逃げるように目を伏せて扉を打破する方法を画策し始めた人形遣いは、ポケットに入れていた二つの結晶が強く光りだしたのに気づき、慌ててその光源体を引っぱり出す。
 先程分かれ道の行き止まり部分に突き当たった時、樹上に煌めいていたのをアンティークが見つけた物だ。宝石とは無縁な生活を送ってきたセイジにとってはよく分からない代物であるが、アンティークによると‘心の結晶’という名を持つらしい。


「まぶし……っ! いきなりどうしたんだ!?」


 荷物になるわけじゃないし、と軽い気持ちで無造作に突っ込んだ物がよもやこんな場所で変化を表すとは。
 予想外の展開に成す術もない青年に向かって、波動にも似た結晶の光は容赦なく灰色の空気を一掃しながら降りかかった。
 秒単位で力を強めていく光に眼球が耐えられなくなり、視覚がその機能を停止する。


『‘心の結晶’が光ってる……』


 アンティークによってそう発せられる驚嘆の言葉を辛うじて聞き取ったのを最後に、セイジの意識は濃く立ち込めた霧中の最深部へと投げ出された。






PIERROT 第2章 常に在りし、腕の内の温もりは
〜From‘Five rooms’ Giant of frenzy BIG〜 U






〔おじちゃん、ビッグのおじちゃん〕
 ――ああ、お前たちか。どうしたんだい?
〔だっこしてー!〕  
 ――こらこら、もうそんな歳じゃないだろうに。早くだっこから卒業しないとだめじゃないか。
〔かたぐるましてー!〕
 ――まったく……ほら、しっかりつかまってるんだぞ!
〔おじちゃん、次のステージもがんばってね〕
 ――もちろん。お前たちもがんばって、早くステージに出られるといいな。
〔ビッグのおじちゃん、だーいすき!〕

 ――嬉しいこと、言ってくれるね。……おじちゃんも、お前たちが大好きだよ。


 青々とした芝生が敷き詰められた、広い部屋。
 ひらひらと舞い飛ぶ蝶や鳩を追いかけまわす子。他愛ない話に花を咲かせる子。元気を持てあますほどにやんちゃ盛りな子。そして、快晴の色合いのまあるい瞳をした、よく泣きよく怒りよく笑う、人一倍自分を慕ってくる子。
 子どもたちとじゃれあうたび、朗らかな歓声が弾け、部屋の隅々にまで染み渡っていく。その声は幾重にも幾重にも重ねられ、柔らかい雨のごとく降り下りる。
 大はしゃぎをする子どもたちを見て思うのは、いつもいつも同じこと。


 ――自分は幸せ者だ。舞台にも立たせてもらっているし、何よりこの子どもたちが一人前のサーカス団員として成長し、羽ばたいていく様を見ることができるのだから。 


 そう、信じていた。そう信じて疑わなかった、のに。


+ + + + +


〔ねぇ、ビッグ。あなたには次のステージにも立ってもらおうと思っているの。今まで以上に訓練に励まなくちゃね? もうあなたは5つの間が一角、‘巨人の間’を司る主なんだから〕


 可憐な花の上に水滴を転がすように、しっとりと甘美な微笑みを湛える尊き人。
 漠然とではあるが、彼女からこの言葉を突きつけられることはどこかで勘付いていた。だから返答はすんなりと口をついて出た。


〔団長、お言葉ですが私は5つの間には相応しくありません〕


 選ばれた時から、いや、選ばれる前からずっとずっと引っかかっていて、突きつけられた暁にははっきりと言わねばならないと決めてきたこと。
 団長の思いに少なからず反すること故、今まで言おうと思っても緊張して引っ込めるばかりだった。しかしいざ形にして伝えてしまうと何だかとても呆気ないものに感じられる。不思議なものだ。


〔あらぁ? どうして?〕
〔優秀な団員と認められたことは大変嬉しいのですが私は最低限の訓練しかする気はありません。……私はただの大男です。5つの間の席はもっと若くて有望な団員にあげて下さい〕


 私を除いた他の主は、皆まだ年端もゆかない者ばかり。
 それに対して引け目や妬ましさを覚えたことはまったくなく、むしろ喜ばしいとさえ思う。このサーカス団の未来を築いてゆくのは若き力。その一端を担うには、私は年を食いすぎている。

 やはり私の申し出が気に障ったのだろう、濃紺のローブの下、まとう空気はすうっと冷えて、歪みが垣間見えるようになった。


〔向上心がないのは団員として致命的ね。何があなたをそこまで堕としたの?〕
〔私は訓練よりも小さな子の相手をしている時の方が楽しく感じています。本当はこのサーカス団にいるべきではないのかもしれない〕
〔そう、あなたは子供好きな優しい人なのね?〕


 歪みが、轟音をあげてうねり出した。


〔――あたしとこのサーカス団よりも子供をとるのね?〕
〔いえ、サーカスは好きですし団長も尊敬しています。ただ私は5つの間には相応しくないと……〕
〔いや! そんなこと聞きたくない!! あなたはあたしを侮辱したんだわ!!〕
〔だ、団長……!〕


 何も、侮辱したつもりは微塵もないのだ。尊敬している、という言葉にも嘘はない。

 人並み外れた身長と、それに比例して伴った怪力のせいで、街中の人々から随分と異端視され、爪弾きにされていた自分をサーカスへと引き入れてくれたのは他でもない、この御方だ。
 あなたのその身長は見方を変えればとっても素晴らしいものになるのよ、と言われ、恐るおそるステージに立ったあの日。蔑まれ疎まれていた自分の身長が、怪力が、熱狂と賞賛とに包まれたあの時。生きていて良かった、生を諦めないで良かった、と、心から感じた。

 だからサーカスに対してもこの御方に対しても、感謝の念は絶えることがない。でも、5つの間に選ばれるほどの力量を持ち合わせているわけではない。またステージに立つことと同じくらい、子どもとの時間を大切にしたい。ただそのことを知ってらいたかっただけなのに。


〔ひどい……ひどいわぁ……。あなたもあたしを選んでくれないのね? 悪い団員には、お仕置きしなきゃね……?〕
〔だ、団長!! ピエロゲームだけは……!!〕


 大ぶりな花が一気に綻び、燃え盛る炎の中で高らかに笑う。慌てふためく自分を嘲ける警報が、全館に向かって高らかにゲームの開始を宣告する。


〔もう遅い〕


 こんなはずではなかったのに。


〔ふふ、あなたも逃げるのね……?〕
〔でも残念、逃げられないわ〕
〔あなたを選んであげたのは、あたしでしょ? 選ばれた運命を受け入れたのは、あなたでしょ?〕
〔だから――逃がさない〕


 ああ、こんなはずでは、なかったのに。

                              
リスト No.31   BIG
制裁内容:子供を嫌いになること



+ + + + +


 何かが粉々に砕けた音を頼りに、セイジははっと意識を掴み直した。
 何事かと辺りを見回すと、先程手中にあった心の結晶が塵となっている。



『‘心の結晶’が割れちゃった……』
「今のは一体……?」


 夢だったのか、現実だったのか。アンティーク、カナ、ピエロに詳細を聞いたところ、この三人もセイジと全く同じ光景、つまり巨人と団長のやりとりを見た、とのことだった。


「さすがに4人揃って同じ夢を見た、とは考えづらいよな」
『よくは知らないけど、‘心の結晶’の中に巨人さんが伝えたい強い記憶が封じられてて、他人が触れたらその記憶を放出するようになってたのかも』


 アンティークの言う記憶放出説が正しいか否かを別にしても、この内容が巨人の伝えたいことである、と勘ぐるのはあながち間違いでもないだろう。狂った巨人は生まれつきの発狂者ではないということか。

 何はともあれ進んでみなければ真意を正すことはできない、のだが。


「でもこの扉、びくともしなかったしな……力ずくで抉じ開けようってにも相当体力使うだろうし……」


 ぶつぶつと呟き考え込んでいる人形遣いの横を通り過ぎ、カナは扉の取っ手に軽く手をかける。転瞬、威勢の良い音を立てて鋼鉄の塊が退き、仄暗い色彩が眠る道をあっさりと一行に明け渡した。
 カナはあまりにも呆気ない守衛の退却を前に逡巡していたが、やがて自分の後ろで呆けている青年に向かって怜悧な言葉を下す。


「普通に、開いたけど?」
『……セイジ……カナちゃんに負けてるね』


 少女の細腕によって容易く破られた扉に軽くショックを受けていたセイジの心に、現実を具現化したアンティークの台詞が深く突き刺さった。積み重なる自分の情けなさを振り切ろうとしたのか、はたまたただ単に腹を立てただけなのか、セイジは先陣を切って建物の中に足を踏み入れる。


 ――そこに待ち受けるものの重みを、露ほども解さぬうちに。









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