最初の関門である巨人の間を後にした一行を出迎えたのは、相も変わらずゲーム対象者を血眼になって探す狂者の群れであった。
 もはや命を狙われるという境遇に慣れきってしまったセイジは彼らを適当にあしらい、態勢を整えるために手頃な小部屋へと飛び込む。
 獲物を見失い怒声をあげる敵の足音が遠ざかっていくのを確かめると、彼は詰めていた息を長く吐き出した。


「行ったか……。ったく、こんな追われて寿命縮める立場にだけはなりたくなかったんだけどな」
『とか何とか言って、セイジ、前に比べて他の団員さんの受け流し方とか結構分かってきてるんじゃない?』
「そりゃここで死ぬわけにはいかないから身体が自然に覚えたんだろ……まあこれだけ順応性があるってのには我ながら驚きだったけど。人間って窮地に立たされれば何でもできるもんなんだな」


 机の隅、無造作な形で据え置かれた黒電話の上に片手を乗せ、ささやかな会話に華を咲かせる新米団員たち。その様子を前に、不機嫌面のカナは顎でくい、とおんぼろな扉を指し示す。


「人の気配が消えた。いつ奴らが戻ってくるか分からないんだし、出るなら今のうちだと思うけど?」
「ああ……身の安全を考えたらひとつのところにずっと留まるわけにもいかないもんな」


 少女に促されるままセイジが出入口の取っ手に手を被せた、その時。 

 緩やかなる沈黙が、大きな音を立てて破られた。






PIERROT 第2章 常に在りし、腕の内の温もりは
〜From‘Five rooms’ Giant of frenzy BIG〜 W






 予期せずして耳に叩きこまれたそれは、先ほど青年が何気なく触れていた黒電話から発せられたものだった。
 意表を突かれて呆然とする一行の思考を引き戻すように、アンティークは可憐さを併せた声帯を震慄させる。


『電話……鳴ってるよ』
「かけてんの誰だ……?」


 この内装に溶け込ませるには異質とも見える機械の長鳴はあまりにも澄みきっていて、あまりにも鮮やかなものだった。たったひとつしか照明器具が取り付けられていない室内は全体的に明度が低いせいか、きっちりと閉められた深紅のカーテンも中央に座する灰黄のテーブルも……部屋に満ちる空気さえもが淀んだ色に埋もれているようだというのに。
 電話線の向こうに佇む存在に心当たりのない青年は、訝しみの呟きを漏らすと同時に相棒を抱えていない方の手に視線を落とす。


(さっき軽く触れただけなのに結構な量の埃がついてる……かなり前から使われてなかったってことだよな)


 しかし今、この電話が何かを哀求するように大声を上げているというのも確かなことだ。
 偶然とは思えない巡り合わせを目の当たりにして無意識のうちに強張った身体を叱咤すると、セイジは慌てて受話器を耳に押し当てた。


【アーアー、聞コエマスカ? セイジサン】
「あぁ。お前は誰だ? どこからこの電話をかけている?」
【私ハHP管理人デス。イツモ閲覧アリガトウゴザイマス】
『ホームページの管理人さん? それにしても変な声だね』
「機械音声だ。生声じゃない」


 無機質な音声に疑問を呈した人形に向けて、カナはすっぱりと返答を繰る。
 自称ホームページの管理人との会話が自分以外の者に筒抜けなのを気にも留めず、人形遣いは眉間にシワを寄せた顔面をそのまま応対に表した。


「タイミングよくかけてきやがって。俺が今ここにいることを知ってたのか?」
【ハイ。イツデモ貴方ヲ見テイマスカラ】


 やはり偶然ではなかった。ではなぜ、相手は‘今’という時を選んだのだろう。なぜ、他でもない‘自分’に接触を図ってきたのだろう。ピエロゲームの最中だからだろうか。そのピエロゲームの対象者が、自分だからだろうか。
 どこからかねっとりと絡みつく視軸を背筋に感じたセイジは首だけを後方に差し向ける。しかしそこに横たわっているのは虚を孕んだ静寂のみだ。主人と同じことを思ったのであろうか、アンティークはなんだか気持ち悪い、と小さく零した。

 一方金属線を隔てたところにある自称ホームページの管理人は、こちらの緊張具合を悟っていないのか、尚も飄々とした音の羅列を結いあげる。


【私ハ貴方ノ敵デモ味方デモアリマセン。コウシテ貴方ト話ス機会ヲ作ッタノハ聞キタイコトガアッタカラ】
「なんだよ。わざわざ電話でってことはBBSでは書けないこと、なんだろうな」


 敵でも味方でもない、という相手の曖昧な出方に言い知れない不審感が募り、半ば詰問のように語気を荒げる。
 しばし置かれた間の後、その存在はまったく抑揚のない声で一言、こう訊いた。


【……死体、知リマセンカ?】


 死体、知りませんか。


「……死体?」


 淡々と紡がれた衝撃的な句を頭の中で反響させ、思わず力の抜けた声で放たれた問いに更なる問いを重ねる。
 ところが次に投げかけられたのは相手方が対話を放棄する音だった。どうやらこちら側の聞き返しに応じる気はなかったらしい。


『切れちゃったみたいだね、電話』

「そっちから質問しといて切るなよな! しかもメチャクチャ気になる質問内容だったぞ!」


 セイジは最早うんともすんとも語らなくなった受話器に向けてやり場のない気持ちをぶつけた。ひやり、としたプラスチックの無機物的な触感があの人工音声と相まって耳朶に残り、どうしようもなく気味が悪かった。
 たったひとり唸り続ける青年と、彼が握った部分のみに本来持ち合わせている光沢を覗かせた埃塗れの電話とを交互に見やり、カナはためらいなく開口する。


「死体ってあんた誰か殺したの?」
「そんなわけあるかよ!」


 即座に否定の語句を口走る青年を尻目にかけたまま、少女は「別に本気でそう思ってるわけじゃない、人殺しなんて大層なことできるほどあんたは肝が据わってないし」、といつもながらの小馬鹿にする態度を押し出した。
 その言葉にほっと胸を撫で下ろしたセイジの心中には、先程の会話における疑念が止め処なく浮かびあがってくる。

 相手は、自称このサーカス団のホームページを管理する者。
 男か女かも分からないその人物はいつでも自分を見ていると、自分の敵でも味方でもないと述べた。
 その言い草はまるで遥かかなたにある高みからこちらを見下ろす傍観者のもののようだが、かの存在はひとつだけ傍観者らしからぬ、干渉的な台詞を吐いた。
 死体を知らないか、と。


「なんだ、死体って。俺と関係あるのか?」


 相手はカナでもなくピエロでもなく、数多の団員たちでもなく、自分だけを捉え話しかけてきた。その理由は自分がピエロゲームの対象者だから、なのだろうか。
 際限なく鬱積する問を飛ばすように首を振った人形遣いは、珍しくどこかぼんやりとしているピエロの肩を小突く。


「どうした? サトル」
「……いえ、なんでもありません」


 それ以上セイジは深入りすることはなく、そっか、無理はするなよ、と軽い笑みを口元に彩って踵を返す。
 上品に巻かれた人形の金髪を自身の歩みに任せて揺らす彼の背と、静けさを固く貫いている濃墨色の電話とを順に流し見たピエロは、無言の中に独白をそっと閉じ込めた。


(管理人がこういった形で動いてくるとは……。とうとう始まった、いえ、始まるべくして・・・・・・・始まってしまったのですね、狂気をめぐる宴が。セイジ、‘その時’が来たら、あなたは――)









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