円形ステージから見て上手側の最奥、右脚の棟。そこに‘5つの間’の一角にして次なる目的地、水槽の間があるらしい。
 しかし棟の前で一行が目にしたのは、入り口を隙間なくすっぽりと覆う金属質の大きな機材。いくら中に入ろうとしても、これでは先に進むも何もあったものではない。そしてその近くではひとりの少女が掃除に励んでいた。女中のような服装からしてサーカス団で働く雑務係だろう。
 団員でないならピエロゲームへの参加権もないはず、ならひとまずは安心しても良さそうだ。そう結論づけて機材の周りをうろちょろと往復するセイジを呼びとめたのは、例の少女だった。


「すみません、こちらの棟は清掃中です。もうしばらくお待ちください」
「まあ、それは見れば分かるけど。俺達はこの先に用があるんだ、通してくれるだろ?」
「ただいま清掃を始めたばかりですから。もうしばらくお待ちください」


 女の子らしさをあざとく強調するひらひらとした格好とは裏腹に、とまではいかないが、存外にしっかりと通る声音でやんわりと突き返される。しかし敵対関係でない相手、さらに「どんなに端くれであれど団員は雑務係よりも立場が上だ」と心のどこかで驕っていたのだろうか。知らず知らずのうちにセイジの言葉は上から目線を含んだものになっていた。


「いやだから、俺達もそこそこ重要な用があるんだって。掃除のジャマにならないようにすぐ通るから、行かせてくれないか?」
「しばらくお待ちください」
「アンタも譲らないな……なら訊くけど、しばらくってどれくらい待てば良いんだよ?」
「お待ちください」


 声を交わすたび、徐々に、徐々に両目の弧の曲がり具合が深くなっていく。それはもう、今にも‘にっこり’という音が丸ごと聞こえてきそうなほどにこやかに。
 かみ合いの悪い会話に焦りといらつきを見せれば、アンティークが完璧に整いすぎた顔のまま、オロオロという音が立つような勢いでひどく困惑し始める。数歩後ろで膠着状態を見守っていたピエロは無なる顔をそのままに、人形遣いの腕を軽く引いて下がらせた。


「他のところに行きましょうか。この様子では当分この先に進めないようですから」
「そうは言っても、たかだかこれくらいのことで引きさがってたまるかよ。これじゃ団長に会うなんて夢のまた夢じゃないか」
「‘たかだかこれくらいのこと’。セイジ、己と相手との力量を見誤ったその慢心こそが足元をすくう最たる原因だということを、ゆめゆめお忘れなきように」
「力量をっつったってどう見誤るんだよ。どう見たってあいつはただの雑務係じゃ、」
「入口を塞ぐあの機材は見てのとおり、巨大な金属塊。どんな用途で使われているのかは私の知ったことではありませんが、さぞや重量があるものと見受けられます。では問いますが、アレをここまで運んできたのは、そして掃除が終わった後にどこへともなくアレを片付けるのは、いったい誰なのでしょう? あなたはアレを軽々と持ち運べると、自信を持って断言できますか?」


 ムッとして突き返す言葉に問いかけが被さってくる。申し訳程度に質問の形はとられているものの、それは明瞭な答えを突きつけるような訊き方だった。いったい誰が、と改めて訊かれずとも分かるような、あまりにも簡単で単純な状況がそこにあったからだ。
 だらしなくぽかんと開いてしまった口を急ぎ結び、先ほどの驕った態度とは打って変わってそろそろと目線を遣れば、少女は掃除する手を止めることなく、先程の表情から寸分の狂いもない笑みをこちらに向けていた。
 ピエロから話を聞かされてしまったがために、そして実際その柔らかな笑みの裏側が底知れないだけに、いやに恐ろしい。


 そんなこんなで強行突破を断念したものの、簡単に気持ちの切り替えができなかったのだろう、セイジの面持ちは晴れなかった。そんな彼を気遣ってか、既に別方向へと歩み始めていたピエロは、均整のとれた偽の微笑を人形遣いにさし向ける。


「昔からこう言いましたか――急いては事を仕損じる、急がば回れ、と。まあ寄り道もまた一興でしょう。予定調和にまみれた道筋ほど無味で面白くないものはありませんからね」






PIERROT 第3章 脚に絡むは、祝歌か呪詛か
〜From‘Five rooms’ Mermaid not pedate SIREN〜 T






『ずいぶんとカクカク曲がった通路だね』
「おかげ様で団員との接触率の高さ、ハンパないけどな。とりあえず死角から飛び出してくるのホントに止めてほしい……あんなの絶対避けられねえよ……」


 セイジは相棒にぶつくさ愚痴を垂れながら、右脚の棟と対に位置する、左脚の棟を駆けていた。
 このサーカス館は過剰に折れた通路がやけに多い。逃げようにも道が狭く回り込まれるため、悲しいことに団員の気配を察して先手を仕掛けるのが得意技になってしまった。つい先ほどなど、角から出会いがしらに鉢合わせたジャスターとクラウンを相手に、反射的に鮮やかな裏拳をかまして沈めてしまったところだ。

 ふり返れば、自分達が倒した沢山のジャスターとクラウンが気絶しているのが目に入る。薄暗く色の乏しい廊下に、むせ返るような濃い赤や黄の衣が折り重なる姿が浮かび上がると、それらはまるで人のようには見えなかった。


(何だかもっと無機物みたいな――ああ、俺たちが進んできた道を照らす、電光装飾みたいだ)


 例えるなら、夜、薄汚い街の裏路地に煌々とぎらついて客をおびき寄せる、淫靡なネオンのような。

 ふとよぎった思いに、自分で感じたことながら気味の悪さを覚え、セイジは強く頭を振る。
 余計なことを考えないよう無心で足を動かすと、一行は広々とした応接間に突き当たった。きちんと整えられた一通りの家具、残された食べかけの食事。机の上のバケツを覗き込んでみれば栓の空いた酒が氷水で冷やされている。巨人の間の前に据えられた一面血だらけの部屋とは違い、人の手がきちんと入れられているのが見て取れる、随分と生活感のある部屋だ。

 耳を澄ませると奥から金属を力強く叩くような奇妙な音がリズミカルに聞こえてくる。今まさに、ここに誰かがいるのは確かなようだ。


***工房***
―演目で使用する武器・細工等承ります―


 奥の部屋との境界をなす扉の横、縁に錆の入った看板の内容を踏まえれば、奇妙な音の正体にも合点がいく。
 しかし万一‘誰か’が襲い来る敵であることを考え、青年は用心しながらドアを引き開ける……が、襲い来たのは団員ではなく、むわりと立ちのぼる熱気だった。

 きれいに列をなした剣や槍、甲冑の数々に迎えられながら中に進むと、より一層こもった熱い空気が全身をくまなく包み込んでくる。薄着のカナと気温を感じないアンティークはともかく、長袖の男性陣には堪える暑さだ。とは言え、ピエロは表情が変わらないので堪えているかどうかも判断しがたいが。
 天井に備え付けられた大きな四つのプロペラがフル稼働しているものの、効果はあまり無いと見える。
 

「あーっちっちっちっち!! なんじゃこりゃあ! ヤケドしちまったあ!!」


 空気の循環の悪さにげんなりしていた意識が、不意の大声をきっかけに振れ戻る。見れば、正面のかまどで一心不乱に金属を打っていた半裸で丸坊主の中年男性が、大げさに手をバタバタさせていた。


「うるさいオッサンだな。はやく水につけろっての」
「ん? そこのにーちゃん『セイジ』か!? ゲーム対象者だろ! はっはっは!」
「久しぶりです、ゲン」


 ひたすら豪快に笑い続ける男と、サーカス館に来て初めてと言っても過言でないほどの底抜けな明るさに辟易する人形遣いとをちらりと流し見たピエロは、さらりと横から挨拶をはさんだ。
 ピエロによると、洒落っ気たっぷりの赤スカーフを首元に巻いたこの男、ゲンは大道具、小道具を専門とする裏方団員らしい。


「おぉ! お前サトルか! 相変わらず若ぇな!!」
「私のことはどうでもいいです。それより火傷を冷やさないと痕に残りますよ」


 覗き込んでみれば、その指先は腫れと染み出た体液とが混ざり合った奇怪な色をしている。全体的に赤い皮は部分的にめくれたところもあり、とてもではないがバタバタさせるだけで熱さや痛みが緩和されるものとは思えない。日常的に火傷を放置しているのだろう、皮膚のつっぱりや水ぶくれも目立つ、見るからに痛々しい手だ。
 応急処置を勧められたゲンはそうだなぁ、と顎をさすってから、すぐににかっと破顔する。


「でもどうも水ってのは好きになれんくてな! そこの嬢ちゃんと反対だな!」


 ――ゲンの目線の先。そこには見たこともないような強ばった形相で、明らかに‘炎’に怯える少女がいた。
 分かりやすく竦んでしまったその体は、ちっとも肺に酸素が入りそうにない、上辺だけの浅く早い呼吸を繰り返している。だのに異様に見開かれたその目は、炎の揺らめきのひとひらをも捉えて離さない。


「……炎から離れて……!」
「カナ? どうした? すごい震えてるぞ?」
『炎を恐がってる……? ちょっと離れてあげようよ』


 アンティークに促されて初めて自分の無神経さに気づいたセイジは、命を削り出すような声を絞るカナの手首を取り、慌てて炎から引き剥がした。その手は芯まで冷えきっているのに脈拍だけが不自然に早く、別の生き物のようにうるさいほどドクドクと波打っている。
 炎から十分すぎるほどの距離を取ってようやく、少女は掴まれた手を弱々しく振りほどいた。


「おいカナ、大丈夫か? いきなりどうしたんだ」
「……私の近くに炎を置かないで」


 想定された答えとは方向の異なる返しが気にはなるが、おいそれと突っ込むに突っ込めない空気だ。相棒も察してか、心配そうに疑問符を浮かべるに留めている。
 普段ならここで助言や案内をはさんでくるであろうピエロに、打開の言葉を求めて首を回してみるが、なぜか彼もまた押し黙ったままだった。ただ変わらない面差しの中、烏木の瞳に憐憫のような、同情のような色が混じっているように見えた。

 ほどなくパンパン、と威勢の良い手打ち音が遠慮がちな空気を断ち切る。音の主は真夏の太陽のように一切曇りない笑顔で、リスト対象者達を見渡した。


「まぁまぁ、人には触れて欲しくないものが1つや2つあるもんだ。それよりにーちゃん、対象者なんだろ? 制裁から逃げきる気なのかぁ?」
「逃げきるっつーか取り消してもらいに行く気だ。オッサンには関係ないだろうけどな。俺を殺す気もなさそうだし」
「そんなことないぞ。オレもピエロゲームの対象者だった。言わば先輩ってとこだ!」
「い!? オッサンが!?」


 あっさり自分とピエロゲームとの関係を吐いた‘先輩’は、火傷の痕が散る太い指をくるりと回し「24」という数字を虚空に描く。


「そうさ! オレはリストNo.24『ゲン』。生き残りはしたが、バッチリ団長から制裁を受けたぞ?」
『ゲンさんの制裁内容はなんだったの? 何かを失ったようには見えないけど……』
「毛か?」
「こいつは剃ってるんだ!!」


 アンティークの言う通り、制裁を受けたのに今現在命もあり、五体満足で、元気に仕事もできていて。失礼だが、傍目には髪の毛くらいしか無いものが見当たらない。冗談めかして軽口をたたけば、汗で光る自らの頭をつるりと一撫でして、ゲンも荒っぽく笑う。人間の気質を大きく陰と陽に分けるなら、彼は強く陽側に傾いた人間だろう。一緒に話をしてまだ間もないが、つられてこちらの気分も晴れやかになってきたような気がする。
 未だゲームを終わらせる手立ても見込みもないものの、制裁から逃げ切るか、あるいは――考えたくはないが――制裁が下されるか、いずれにせよ何らかの形で終止符が打たれる時が来るのだろう。ピエロは‘制裁を受けたら無事ではいられない’と言っていた。ビッグも‘制裁からは絶対に逃げたほうがいい’と言っていた。団長から制裁を受けても、時間が解決してくれて、団内で普通にやっていけるようになるものなのだろうか。例えばこの男のようにサーカス団のために仕事を続けて、団員と他愛ない話で笑いあう、なんてことも。

 終局後の対象者の在り方まで考えを巡らせていると、ゲンは手近な工具を片付けながらおもむろに開口した。


「制裁は対象者の『最も辛いと思うこと』って知ってるよな?」
「ああ、だから制裁内容は対象者によって違うんだろ?」
「オレの制裁内容は……娘の足を斬り落とすことだった」


 わずかに生み出された言い淀みに嫌な予感を募らせるとほぼ同時。
 存外きっぱりと放たれた‘制裁内容’は、工房の熱気に乗せられて、天井の高い工房によく響いた。
 惨烈であっただろう光景が否応なしに想起され、背筋が情けないほど馬鹿正直にぞわりと粟立つ。しかし娘の足を斬るというむごたらしい行為と、目の前の快活な男とをどうしても結びつけて考えることができず、そこから先の思考がうまく回らない。

 まともな相槌すら打てず、ただただ目を見開き言葉を失う新米団員達の反応は、ゲンの予想通りのものだったのだろう。
 顔を苦笑の色に染めると、男は火傷に塗れた手で工具入れの蓋をかしゃりと閉め、己の覚悟を示すように静かに目を伏せた。


「聞いてて気分がいい話じゃねぇから聞かなくてもいいが……にーちゃんが知りたいってのなら教えてやるからいつでも声かけてくれ。『ピエロゲーム』の悲痛さをな……!」








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