【 Intervallo  VII → VIII 】


 第六幕につきまして、ワタシが知っているのはここまでです。
 こうして彼女は自らが欲しがった箱で、自らが欲しがった自分を手中に収め、自らが欲しがった恩恵を受け続けるのでしょう。
 憧憬の眼差しを集めるようになった彼女には自信のみならず、周りと一線を画す求心力、影響力さえも植えつけられた。嫉視を受けても、彼女の言うとおり“こちらの優越を明らかにする”と前向きに捉えてしまえばそれまでのこと。
 少なくとも今は“自分にあって他人にないもの”を武器に他人を見下ろし、優越の玉座で堂々と胡坐をかいていられるというわけですね。めでたしめでたしです。


 ……え? どこがめでたしなんだ、と?
 開けてはならないと言われたものを、開けるか、開けないか。禁忌の箱を呈され、迎えた岐路の選択において「開ける」ことを選んだのは他でもない、少女自身。
 日常の些細事においてさえ、何かを手に入れるためには釣り合うだけのものを支払うのが掟。まして自力では到底成し得ぬものを強請るからには、それ相応のものを差し出さなければならない。年端も行かぬ子供ではないのですから、彼女もよもやタダで願いを叶えてもらえるなどとは思っていないでしょう。同時に警告を破る以上は、その後何が起ころうとも責任をすべて被らなければならないということも分かっていて然るべき。
 故に頬から笑窪が消えたとて何も大した問題ではありません。彼女が魔法のようなあの箱に願ってまで望んだ美と知、そして嫉妬からの解放をもたらした世界には、それだけの幸せが、価値が、重みがあるというだけのこと。そして面白きかな、圧倒的な喜びであろう憧れを叶えた時、その少女のもとには憧れについてくる負の面もまるごと引き渡されるというのが、世のカラクリというものなのですから。


 どちらにしろ、あの箱には非はございませんよ。喜ぶべきか憐れむべきか、自分を開けてくれる人を選べぬ箱は、ただ役割を全うするより道がない。少女は願いを具現化する際に付いてきた不純物に蝕まれたではないか、と箱をなじることが理に適わないのは偏に、箱が心を持たぬ“物”であるからこそです。
 これから蓋が閉まることがあれば、箱はまた究極の客観物として淡々と事を処してゆくのでしょうね。さすれば持ち主の少女の心身は元通りになるのか、あるいはまったくの別物へと成り果ててゆくのかはワタシも存じ上げません。ここはゆるりと、彼女が行き着く未来を楽しみに待つと致しましょう。


 さて、第六幕を最後までご覧いただき、ありがとうございました。
 残すところはあと二幕。ここまでの長丁場でお疲れになった方はどうぞ姿勢を崩し、強ばった筋肉をほぐしてご覧ください。
 それでは幕間でまたお目にかかれることを祈りまして、第七幕を開けさせていただきます。





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