【 Orecchio fine 】


「君のピアノは確かに上手い。上手いんだが、しかし……」


 逆接の接続詞に、ああまたか、と奥歯を噛みしめる。言ってくれるな、その先に繋がれるものなど嫌と言うほどに知っている。


「何と表すべきか……これだという決定打に欠ける、とでも言うのかな。技術力は申し分ない、寧ろ他から頭一つ抜きん出ている。心に訴えかける表現力も兼ね備えてはいる。しかし圧倒的な響きが足りないと言うか、聴衆に共鳴を与え切れていないと言うか……」


 願いは届くはずもなく、「嫌と言うほどに知っている」言葉で「嫌と言うほどに知っている」評価が下される。
 似たような評を聞くたび聞くたび、以前は落胆で溜め息を吐くとともに肩を沈めていた。けれど毎回そうしていては身が持たないと身体が勝手に適応したのか、単に耐性がついただけなのか、最近ではめっきり肩が落ちなくなり溜め息も吐かなくなった。代わりに奥歯の咬牙は酷くなる一方なのだが。
 それでも口元に笑みを象るように努めて、私は相手を――目を合わせられるほど神経が太いわけでもないので、眉間を――見据える。


「的確な評価をありがとうございます。ご指摘いただいたところは、私自身至らぬ部分だと感じております」
「そうか、自覚があるのなら話は早い。君が技巧的に優れていることは疑いようもないからね。ま、これからの伸びに期待しているよ」
「はい。精進します」


 使い古してボロボロの譜面を胸に抱えて深々と一礼をした私は、相手の足音が完全に鼓膜から剥がれてようやく、のろのろと面を上げる。……まただ。また、駄目だった。
 有名なコンクールで三番、二番までの賞は取れるが、一番は取れない。今日のように名だたる評論家たちから「上手い」という褒め言葉は引き出せるが、「流石だ」と唸らせることはできない。
 彼らが揃って口にするのは、「決定打に欠ける」ということ。それは自分自身でも痛感している。私には人の心を揺さぶり楽しませる、人の期待を凌駕する決定的な何かが足りないのだ。
 ただ上手なだけの輩などいくらでもいる。一人前の演奏家であるのなら上手であることを大前提に、更なる高みを目指さなければならない。

 そう、最高の演奏家でありたいのなら、「感()」させるのみではなく「感()」させる音を奏でなければ。


+ + + + + + + + + +


 自宅に帰るや否や部屋に飛び込み、譜面を引っ掴んで一直線にピアノへ向かう。放り投げた鞄が壁に当たろうとも、鞄の中身が重力に従って床に散らばろうとも、気になど留めていられない。とにかく練習が先だ。
 指番号から細かい奏法、フレーズの解釈、他人の助言、こう弾きたいという自分のイメージ……鉛筆で様々な書き込みがなされ、鉛の芯が滲んで黒ずんだ譜にざっと目を通して、モノクロ以外の色を寄せ付けずに纏まった鍵盤に指を滑らせる。

 嬰ハ短調、「遅く、気まぐれに(レント・ア・カプリッチョ)」の序奏から「歩くような速さで(アンダンテ)」の主題へ。アクセントの効いたリズムも、数々の装飾音符が付された和音の嵐も、アルペジオもトリルも、五十以上の音符が連なる小節も耳障り良く、そつなく流していく。

 しかしFriskaに入りかけたところで、私は両腕をだらりと落とす。心持ちは最悪、これでは後半の見せ場にして徐々に盛り上がっていく構成のFriskaを弾き切ることなどできまい。
 自分なりに情感を込めているつもりではあるのだが、やはり物足りなさを感じる。強弱、音色の固さ柔らかさといった、言葉にして表せる話ではないのだ。もっと身体の底に響き渡る音で、もっと内臓の一つひとつを震わせる音で、もっと頭でなく心で聴き入る音で、偉人が遺した素晴らしき楽曲を奏で上げていきたい。
 悔しいが、己でさえ納得がいかないのだから他人が味気なさを感じるのも当然だろう。ぎりり、知らず知らずのうちに奥歯に力が入る。


(私に足りないものは、何だ? どうしたら手に入る? 何故手が届かない? 人一倍練習しているのに、努力しているのに!)


 吐き出せない鬱憤とやりきれない自己嫌悪とが手を取り合って、青筋の浮き出る拳を形作る。その拳は吸い込まれるかのように鍵盤に叩きつけられ、眩暈がするほどに混沌とした不協和音が部屋全体を喰い破らんとばかりに広がった。


「おっかしいなあ。どうしてそんな疑問をバカのひとつ覚えみたいに繰り返すの?」


 どこからともなく聞こえた、どこかで聞き覚えのある声は、吐き気すら催す不快な音の重なりの合間に滑り込んで不可思議なほどに調和していた。
 綺麗な声ではあるが、高いとも低いともつかず、男か女かも分からない。そもそもここには私とピアノとしか存在していないはずだ。一体誰が、と一通り見渡しても首を捻ってみても、答えはおろかヒントすら下りてこない。
 それでも声の主は喋り続ける。他ならぬ私に向かって。


「単純明快そのもの。練習や努力じゃどうにもならないことだってあるんだ。あんたにはさ、“才能”が無いんだよ」
「どうにもならない、……“才能”……?」
「ああ、誤解しないで? 頑張り屋さんなところを貶すつもりはないんだ。それも一種の才能だ、って言い方もあるくらいだし? だけど理想は高くとも、そこに到達するほどの“第六感”が無いのさ。まっさか、今の今まで気付かなかったなんてこと、あるわけないよねえ?」


 人を小馬鹿にした言い回しと嘲笑。ぎりぎり、意識してか無意識のままか、奥歯が擦れて低音が鳴る。反論はしない、できない。あまりにも大きい“正”を喉元に突き付けられた人間にできることは、沈黙に徹することだけだ。
 果たして私は気付いていなかったから、練習に明け暮れてきたのだろうか。それとも気付かないフリをしていたから、気付かないように蓋をしていたから、練習に明け暮れてきたのだろうか。
 いや、そんなことは問題でない。今、最も大事であるのは。


「では私は、足りないものを手に入れることができないのか? 手が届かないのか? 人一倍練習し、努力をしても……?」
「さっきから言ってるじゃないか、練習や努力じゃどうにもならないことだってある、って。こればっかりは生まれつきのもの、天からの授けもの。個人の頑張りで身につくものじゃないからねえ。だからさ、」
「……それで諦められたら苦労はしないさ。例えどうにもならずとも私は私にできる最大限のことをする。手に入れて高みに近づくためなら、何だってやる」


 台詞をざっくりと遮り、私は不敵に微笑む(ちゃんと微笑めているかどうかは甚だ怪しいところだが)。確証は無くとも既に声の主の正体は分かりかけていた。もしも私への見込みがゼロであるならば、こいつは傍観を決めこむはず。それがこうして話しかけてきたのだ。ならばこちらから気概と覚悟を示そうではないか。
 しばし据え置かれた間の後に返ってきたのは、予想通りの反応だった。


「“才能”や“第六感”は何度も言っているように、あんたの手には入らないよ。生まれ持ってないんだから仕方ない。でも高みを目指す方法は存在する」
「ならその方法に全力を注ぐまでだ。ついでに訊くが、それは私のように才無き者であっても実行可能なのか?」
「ああ。本気で腹を括った、強靭な意志を持った奴なら誰でもできる、酷く簡単なことさ。“才能”や“第六感”が無くてそれらに頼れないなら……あんたが持つ聴覚の全てを研ぎ澄ませ、それを己の奏でる音と僕とに傾け、委ね、深く深く集中させてやれば良い。それこそ音と一体化するほどに」


 さらりと事も無げに言うものの、具体的にどうすれば?
 再び問いかけると、しっとりと艶を帯びた笑い声が耳奥でくるくると楽しそうに飛び躍る。


「あんたはホントにバカだなあ。決まってるじゃないか。――音と僕に集中したいなら、音と僕以外に目を奪われない状況を作れば良いだけの話でしょ?」


 いつの間に、だろうか。
 歯軋りの音もあれほどまでに心地悪かった不協和音も、跡形もなく消え失せていた。


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 こうして私は、理想の音楽へ近づく一歩を踏み出した。
 妻は私の変化に息を呑んではいたが、特に騒ぎはしなかったし、驚いたような雰囲気を纏わせてもいなかった。彼女曰く「何となく勘付いてはいたの。でもとやかく問い詰めたり責めたりはしないわ。貴方が意を決して生きる世界の邪魔にはなりたくないから」だそうだ。
 また、「貴方の世界は興味本位で触れて良いものではないから。もし迂闊に関わってしまえば、私は今の私に戻って来られなくなる」とも言っていた。こういう時、彼女が理解者で良かった、妻で良かったと心の底から安堵し、その怜悧な判断に心の底から感謝する。思えば私は、彼女のこの突き放すような賢さ、物分かりの良さに惹かれて結婚したのだった。一般的に認知されている夫婦間の感情とはいささか異なるようだが、これが私たち夫婦の在り方で、お互い性に合っているのだろう。


+ + + + + + + + + +


 静かに部屋へと入り、ジグザグな足取りでピアノに向かう。今の私に惑いの原因となる指示書(ふめん)は必要ない。何かを踏んで足に血が滲もうとも、何かを蹴飛ばして脚に痣を作ろうとも気にすらならない。さあ、楽しい愉しい練習の時間だ。
 椅子に腰を落ち着けると早速ひんやりとして滑らかな鍵盤に指を被せる。さて、今日は何を奏でようか。一番のお気に入り、ベートーヴェンの『Sonata quasi una fantasia』――通称『月光奏鳴曲』の第一楽章から始めてみようか。

 嬰ハ短調、「緩やかに、十分に音を保って(アダージョ・ソステヌート)」。左手はC#から始まり、前奏から最後まで重厚な低音のオクターブで旋律を支える。右手はG#から始まり、最後の二小節前まで三連符を繰り返すとともに旋律を歌い上げる。決して速い曲ではないし、卓越した技巧を駆使する曲でもない。構造としては実にシンプルである。しかしその分だけ弾き手の腕の良し悪しが顕著に現れる、難しく恐ろしい曲だ。

 暗闇にたゆたう水面、水面に映り細波に揺れる月、月が寂しげに佇む濃紺の夜空。叫ぼうにも叫ぶことを許されない内に秘めたる想いに、悲哀と慰めの月光が降り注ぎ、人は月光に絶望と希望を見出し嘆く……そのイメージをそのままそっくり音色に写し取っていく。弾き続けながら音の深淵に入り込み、私は以前より格段と深みを増した響きに酔い痴れた。
 もちろん現状に満足しきっているわけではないが、今の私は聴覚の精度を上げたことでどんどん理想に近づいていけるという自信にみなぎっているし、聴き手たちから「心が動かされた」という有難い評価を得てもいる。「決定打に欠ける」と悩み苦しんでいた過去の私はもうどこにもいない。
 考えてみれば愚かなことに迷走し続けていたものだな、と思う。何故もっと早くに聴覚を研ぐための策を講じ、音に寄り添うことを心から楽しむ道を、また精神的に楽になる道を選ばなかったのか。とんだ笑い話だ。


『音と僕に集中したいなら、音と僕以外に目を奪われない状況を作れば良いだけの話でしょ?』


 私の中で軽やかな笑い声と『月光奏鳴曲』とが至上の協和音を生み出し、指先から髪の毛一本の先、毛細血管の一つひとつの先にまで沁み渡っていく。
 そうだな、相棒。お前の言う通りだ、酷く簡単なことだった。


 楽曲を奏でる時、音とお前以外に目を奪われないように。聴覚を尖らせ高める上で弊害となる、視覚を遮断するために。
 自らの目玉を奪ってしまえば良いだけの話だったのだから――






<V 目を隠して、音だけでしんで>


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