【 Intervallo  III → IV 】


 第二幕につきまして、ワタシが知っているのはここまでです。
 こうして“才能”あるいは“第六感”に匹敵する、もしかするとそれをも超える聴覚を手に入れた彼は、自分が思い描くままのキレイな音色を相棒(ピアノ)で響かせていくのでしょう。
 その現実を忘れた陶酔境の音は聴いた者の肌を、脳を、心臓を、血液を、感性を、ありとあらゆるものを粟立たせる。これからは前途洋々、ピアニストに授けられるどんな名声も彼の欲しいままになるに違いありません。
 そして何より、自分の音に苛まれていた彼が彼自身の音を身体の奥底から楽しむことができるようになった。
 己も他人も求める良き音楽を生み出してゆける、最高の演奏家になってゆけるというわけですね。めでたしめでたしです。


 ……え? どこがめでたしなんだ、と?
 確かに望んで盲目になったわけではない方々から見れば身勝手で腹立たしいこと極まりないでしょうね。いくら相棒の声を聴き入れたからとは言え、彼は聴覚のためだけに両眼を抉り、くり抜き、視覚を棄てて自ら盲の道を選択したのですから。
 ですが“才能”、“第六感”を凌ぐ絶対的な聴覚を前にして、彼にとっては目玉などどうでも良い価値無きものだったのでは? あるいは目玉を支払ってでもそれを手にしたいと欲に焼かれたか。寧ろ持てる全ての聴覚を目醒めさせる手始めに、五感の一角を司る視覚を潰しただけのこと、とも考えられましょう。やがて今の状態に飽いてしまえば、彼は聴覚という唯一にして絶対なるもののために喜んで他の五感――嗅覚も味覚も触覚も捧げていくやもしれません。……ええ、生憎ワタシは音の狂人ではないものですから、全ては不確かな憶測で終わるに過ぎないのですが。
 ともあれ彼の奥方でさえ「興味本位で触れて良いものではない」と仰っている危うい世界のことですし、深く追究するのは止めておきましょうか。無論、皆さまが掘り下げられたいのであらば止めるような野暮は決して致しませんのでご安心ください。


 まだ首を傾げていらっしゃいますが、如何致しましたか? ああ、“絶対的な聴覚”が分からない、でございますか……それならば試してみるのが一番でございましょう。
 試すと言えど彼のように眼窩に爪先を食い込ませてしまっては色々と不都合が生じますから、そうです、両の瞼を下ろして一時的に視覚を棄ててみてくださいませ。ほうら、目からの情報が無くなってしまった分だけ耳が敏感になって、聴覚に集中せざるを得なくなってきましたでしょう。普段お聴きになっている時とはまた違った音のように感じられはしませんか? 普段取りこぼしていた音がはっきりと聴こえはしませんか?


 さて、第二幕を最後までご覧いただき、ありがとうございました。
 立つべきか座り続けるべきか迷っていらっしゃる其処の御方、出られるのであらばお早めに。何分休憩時間を設けておりませんもので急かすような形になってしまいます、申し訳ございません。
 それでは幕間でまたお目にかかれることを祈りまして、第三幕を開けさせていただきます。





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