【 Intervallo  V → VI 】


 第四幕につきまして、ワタシが知っているのはここまでです。
 こうして灰色以外の色を知らない世界に生きる彼女は、手段を問わず、自分と仲間の命を繋ぐためだけにその日その日を惜しみなく捧げていくのでしょう。
 常に現在(イマ)と一分、いえ、一秒後の未来(サキ)とを注視し続け、自身でも気付かぬままに己が身を磨り減して疲弊し、歪みの波紋を徐々に広げ始めた彼女の中身(ココロ)。それは彼女の入れ物(カラダ)を回顧の場へと導くことで、彼女を現実から一時的に逃れさせ、深い懐古の海に沈めてゆく。
 其処で白昼夢を咲かせ、鮮やかな幻影を眼に映して充足を得る。そうすることで知らず知らずのうちに精神の安定を図った後、彼女は後ろ髪を引かれながらも海から離れ、歪んだ灰色の(ウツツ)へと舞い戻ってゆく。
 これを繰り返すことで彼女は、言うなれば自分の守りを絶えず得られるというわけですね。めでたしめでたしです。


 ……え? どこがめでたしなんだ、と?
 彼女にはまだ生きるべき廃墟(トコロ)役割(イミ)が在り、守るべき仲間が在る。どんなに意志が固くあれども、それらは彼女の器を大きく超える、両肩に乗せるには重すぎるモノ。
 守られている側は守る側に守っていてもらえればそれで良い。最悪の状態から脱する安寧が保証されればそれで良い。守る側が自分たちに不利益をもたらさなければ、という条件は付きますけれども。
 では守る側は誰に、何に、守ってもらえるのか……そう考えてみては如何でしょう。物的な支えなど到底望めない状況、心的にも表立って縋れない状況の中、彼女が彼女にしか分からない、彼女だけのお守りを持てることは幸いと言って差し支えないのではないでしょうか。


 まあ夢や幻は、現れていること自体、見ていること自体、浸れること自体が“幸せ”でございますからね。
 泡が無惨にも弾け飛び、夢幻にさえ頼れなくなった時。其処に在るはずの無いものが真に“無い”のだと、きちんと“理解する”だけではなく全身をかけて“受け入れる”時。受け入れた上で、在るはずの無いものの残滓を“認める”時。
 尚も喜劇的結末(メデタシ)が待ち構えているか否かは――残念ながら、ワタシが関与するべく場所にないお話でございます。


 さて、第四幕を最後までご覧いただき、ありがとうございました。
 この幕間は丁度、今宵の舞台の折り返し地点。「まだ半分しか終わっていない」と捉えられるか、はてさて「もう半分終わってしまった」と捉えられるか……すべての感じ方は皆さまがそれぞれに持ち合わせる御心のままに。
 それでは幕間でまたお目にかかれることを祈りまして、第五幕を開けさせていただきます。





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