【 Breccia e addio 】


 一歩、一歩、また一歩。
 気怠さが見え隠れした放課後の廊下にこだます、古びた床と上履きが擦れた、高い捻じれの音。
 確実に近づくその音を全身で感じて、そっと目を伏せる。間違いない。まったくの他人でありながら僕の現身といっても過言でない、“あの子”の足音だ。
 彼女は僕と決別する覚悟をしっかりと決めてきたからこそ、こちらに歩いてきているのだろう。それはすなわち、僕が僕を縛ってきた理由が無くなることを意味する。
 これで彼女との接触は最後になる。それはあやふやな憶測ではなく、確かな未来として存在していた。


「楽しかった、とは世辞にも言えないけど。……いざ終わりとなるとやっぱ、何か寂しいもんだよね」


 そんな己の呟きに、己の咽喉がくつくつと震える。
 らしくなく、しみじみと回顧するなら、「出会い頭から今に至るまで、彼女のつっけんどんな態度は塵たりとも変わらなかった」と言うだろう。それはもう、あんた愛想って知らないんじゃないの、ってレベルじゃなく、あんた愛想って胎内に置いてきたんだよね、というレベルで“愛想”という二文字の欠落っぷりを見せつけられた覚えしかない。
 それが自己防衛のための反応、精一杯の虚勢、崩してゆくべき壁であるのは他ならぬ僕自身がよく知っているし、だからこそ僕はその反応を引き出すような行動ばかり取ってきた。内心、それが裏目に出てマズい方向に転びやしないかと心配していたけど、結局杞憂に終わったのは僕の力量の賜物だろうと自負している。果たして彼女はそれを分かっているんだろうか? 早く気づいてもらいたいものだ、ねぎらわれるべき僕の功労に。


 一歩、一歩、また一歩。
 ひた走る音に耳を傾けたまま、そっと目蓋を開ける。
 以前、僕が感情を暴走させて、煩わしさに委ねて捨て去ってしまった時のこと。あの時は辛いだとか苦しいだとか悲しいだとか憎らしいだとか、とにかく負の感情がどろどろと渦を巻いていた。きれいな黒ではなく、パレットにありとあらゆる絵の具を足して力任せに混ぜ合わせたような、淀んだ汚い黒に溺れて、正直何も考えられずにいたと思う。
 だが二回目に臨む今はどうだろう。あれほどまでに強烈だった負の感情はすっかり影をひそめて、ただ凪があるだけだ。思考は冴えていて、網膜に映しだされているもの全部がクリアに、明瞭に理解できているような気がしてならない。
 きっと大きな境界を踏み越えて新しくなったのだろう、僕は。そして僕と同一である“あの子”を見つけて、今度は彼女を、僕と異なる方向へ新しくしなければ、と思った。僕なら彼女の理解者として新しくできると思った。ただし表立って出しゃばったんじゃあ意味がないから、随分と回りくどい接し方をしなきゃならなかったけども。
 結果オーライ、その一言で片づけられてしまうことにホッとするような、口惜しいような。そんな複合的な気持ちが、ない交ぜになっている。


 一歩、一歩、また一歩。
 近づく歩みの音は、彼女と僕とが解放される突破口へのカウントダウン。自然を装って不自然につなげられた線は切られ、彼女と僕とは点と点とに返る。
 その音が途切れるまでに残されたわずかな時間は、覚醒と昏睡の狭間でまどろみ続ける陶酔によく似ている。何の邪魔も入れさせはしない、何にも代えがたい、至味の一刻。
 

 ここで終わるべきものは、確実に終わる。それは必要なことだから止めてはならないことだし、止めたいとも思わない。
 けれど恐らくこの先、僕はふとした時に、耳の奥深くで思い返すのだろう。他でもない、今この時を、この音を。

 一歩、一歩、また一歩――






<Y ほら、足音がく>


>>> Intervallo  VI → VII  (幕間へ進みます)
>>> Ingresso  (入口へ戻ります)


IE6.0- Font Size M JavaScript ON Stylesheet used Copyright©2008- Syuna Shiraumi